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踊る人 おどるさかな げんきにふらふらしています
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本日、私、濱田陽平、
【横浜国立大学大学院都市イノベーション学府建築都市文化専攻横浜都市文化コース】
という長い長い名前の大学院を修了することができました。
いえ、かなり多めに見て修了させて下さったと言うべきなのでしょう。
本当に感謝しております。

「君を修了させて良いのか分からない。正直言って、修了させないほうがよいのではないかと思っている。」
と宣告されたのが先月半ば。半分やけっぱちで日本を飛び出し、一ヶ月もの間イスラエルをふらつき、その後も教授と一切連絡を取らず、卒業式の日程すらも最近まで把握しないままに今日を迎え、ついに授与式にも顔を出せなかった臆病者ですが、聞く所によると、無事に名前を呼んで頂いたようでした。

4月からどうするんだという質問に、はっきりと答えることも、笑ってごまかすこともままならない自分にもどかしさを覚えての卒業です。
しかし、長い長い学生生活を終えようとしている今、私には一つの確信があります。私は死ぬまで、踊ることをやめないでしょう。誰が何と言おうと、結婚しても、子供が生まれても、親が死んでも、怪我をしても、例え、借金まみれになったとしても。私が目指しているのは、有名になることではありません。多くの人に夢と希望を与えることでもありません。私が目指しているのは、踊ることを通じて自らを律する生き方です。それは、哲学することです。踊りは単なる洗練された肉体の運動ではなく、単なるパフォーマンスでもありません。踊りは哲学です。考え方であり、生き方です。

最近、「逃げても逃げても逃げ切れない」という感覚に苛まれています。
その一方で、追いつかれまいと必死に戦っている自分がいます。
一体何から逃げ、何と戦っているのでしょうか。
現段階において、その答えは「理性」であり「理論」です。
理性が感覚の邪魔をし、そして理論が追いつきます。
それを必死に振り払おうと、思考を停止させ、思い立ったが吉日、
どかーんと感覚に身を任せて行動します。
そして、思考を再起動させて状況を整理するのです。
これまで、わたしは延々とこのサイクルを繰り返してきました。
そして、これまでの所、あまり良い結果に至っているとは思えません。
しかし、このサイクルはどうやらそう簡単に変わるものではないことも薄々感づいてきました。
ではどうするのか。
それは、自律すること、そして、他者と共に生きるということ。
これまで私は、自分一人で生きていけるという幻想を描き続けてきました。そうではないとどこかで感じ取りつつも、他人を頼らずともやっていけるとどこかで信じていたのでしょう。
ただ、これ以上このままではやっていけなくなってしまいました。
完全に参っております。
もともと強い人間ではなく、あちらこちらを誰かの力を借りてやっとこさ重力に耐えていたのでした。
しかし、それでは誰も支えることができません。
そんな生き方は美しくない。

ということで、
「卒業してからどうするの?」
の質問には、
「体幹を鍛え、よく食べよく寝る。そして、信頼できるパートナーを見つける。」
と答えておきましょう。
まずは人間らしい生活を。


陽平

拍手[6回]

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Ave.30(アベさん) 1st. Live「アベサンノフツウ」@阿佐ヶ谷 yellow vision
ドラム山本直樹、フルート吉田一夫、タップ米澤一平、踊り濱田陽平(敬称略)


わかんないことだらけでおっかなびっくりでしたが、16名の方に来ていただき、無事に終了しました。ありがとうございました。
皆さんに喜んでいただけたようで何よりです。
個人的に修論で身体鈍ってないか心配でしたが何とか動けました。
しっかり精進してまた春ぐらいにライブ企画できたらと考えております。
おとといぐらいから怒濤のメール送ってしまい、皆様にはご迷惑をおかけしました。
今度からは余裕を持って告知致します。

残念だったのは今夜2セット目の録画ボタンを押し忘れたこと。
見て下さった方の記憶の中にだけ留めておいて頂ければと思います
ありがとうございました。


陽平

拍手[2回]

「かっこいい大人のいるほうへいるほうへ進んできた」
この夏からイスラエルに行ってしまった僕の大好きなダンサーがふとつぶやいていた。


シンプルだ。
それ以上何がいる?


アフタートークはいらない話。
今流行のアフタートークのゲストは客寄せパンダ。
チケット売るための作戦でしかない。
面白いアフタートークは話しが面白い人が、作品とは全然関係ない話をしているもの。
が、話しが面白いダンサーなんて早々いないから、
作者とゲストダンサーのアフタートークは熱心なファンが喜ぶだけ。
批評家だとその人の見解が印象に残ってしまう。
そんなに裏話を聞きたいんだろうか。
第一、大勢の前で本当のところをズバズバ話せる人なんてそうそういないし、
つい口をついて出た嘘か本当か分からない話を鵜呑みにして帰るぐらいなら、
自分でじっくり持って帰って反芻したい。
作品の中で伝え切れなかったならそれは作り手の力不足か努力不足。
アフタートークや当日パンフレットで伝えれば良いやだなんてもってのほか。
30分もアフタートークを聞くくらいなら、
美味しいコーヒーを飲みにいきたいし、一杯ひっかけていたいものである。

ちなみに、僕がアフタ—トークを聞きたいと思うのは、
クッソつまんない舞台を見たとき。
どういうつもりか聞いてみたくなる。
てことはやっぱりいらないよね。
帰れば良いんだから。



目指すところの違いによる肩書きの違いの話
名刺になんと書くか。
それはその人がどこを向いて生きているか。
例えば、ダンサーと役者は似て非なるもの。
必要条件が違う。
ダンサーはキャラクターからアプローチする必要はないし、
役者は身体からアプローチしなければならないわけではない。
ダンサーと役者はそう簡単に同じ舞台に立てないし、簡単に立つべきではない。
ダンサーがダンサーとしてのアプローチで芝居をする事はあっても、
一線を越えて役者としては立つべきではない。
ダンサーはあくまでサンサーである。
俳優業をこなしても、歌を歌っても、ダンサーはダンサーである。
同時に立てるのは、未熟か卓越してしまっているか二つにひとつだ。

同様に、
どんなにダンスに見えても、作り手が芝居として作れば芝居だし、
どんなに台詞をしゃべっていても、ダンスとして作っていればそれはダンス。


しかし、見る側は勝手にこれがダンスだ、これが芝居だと決めつけているので、
色々言い始める。
本当はダンスだろうが芝居だろうが関係ない。
コンテンポラリーダンスだろうが舞踏だろうが関係ない。
なんであろうと、満足する時は満足するし、満足しない時は満足しない。

今日のところの分析では、概して、
ダンサーは限りなく自分であることが良しとされ、
作者はは限りなく自分と遠い存在になれることが良しとされる。
自分をさらけ出すことで自分が現れるのか、
他者になり切る事で自分が現れるか。
たとえ結果は同じであっても、
アプローチが違えば全然違う。

だんもんで、ぼくは踊る人です。
この先お芝居をする事があっても、踊る人です。
舞踏かコンテンポラリーかストリートか何て関係なく、ただ踊っているだけです。

拍手[2回]

二週間近く前になりますが、濱田陽平ソロダンス「えらびしぶる」、3公演無事に終了致しました。
当日パンフレットにも書きましたが、見てくださった方も、そうでない方も、応援してくださった
方も、そうでない方も、全ての方に感謝しております。
そして誰より、今回公演を一緒に作ってくれたチームえらびしぶるのみんなに感謝しています。
本当に良いチームでした。ぼくの一生の宝物です。そして、これからもよろしくお願いします。
チームえらびしぶるについては一つ前の記事で紹介しています。

公演はおかげさまで大盛況、平日にも関わらず延べ123人もの方々に見ていただくことができました。
身体は尻上がりに調子が上がり、やり切ったという感覚がありながらも、まだ行けるという錯覚さえ
起こしてしまった自分がいました。
わりとヘトヘトだったのは言う間でもありませんが。

さて、ダンサー宣言をするつもりで行った「えらびしぶる」でしたが、
結果として創作意欲を駆り立てられ、作家としてのスイッチを押してしまうこととなりました。
現在、次作の構想を練りまくっております。
というか、8割方頭の中では完成しており、早く作りはじめたいのが本音です。
皆さんにもお知らせできる日が来るといいのですが。

トンデ空静の稽古と、実は出演する神戸のコンクールの稽古が一斉に始まり、わーっとなりかけて
いましたが、去年の秋からの生活に比べるとかなりゆとりがある毎日です。
人間的生活をしています。
ソロ公演前から活字に飢えていたので、今は本を読むことと勉強が楽しいです。
この機会を逃すと大学院の卒業が危ぶまれる気がする笑
なので、頑張ります。

ちなみに、11月以降こんなに踊っておりました。
http://yoooooooops.blog.shinobi.jp/Entry/508/


そして、「えらびしぶる」のダイジェスト版ができました。
ぜひともご覧ください。

拍手[1回]

相変わらずののんびり更新です。
こんばんは。
このブログを未だに使いこなせていないようです。
拍手をするとコメントが残せるようなんですが、
そのコメントは管理画面からしか見れないとか。

というわけで、
いつの間にか頂いていたコメントにお返事させていただきました。

2012-01-13 01:07:46に「今年もやっと明けました」
にコメント頂いたjunさんへのお返事です
http://yoooooooops.blog.shinobi.jp/Entry/510/


2012-01-22 13:54:41に「(no subject)」
にコメント頂いたじゅんねえさんへのお返事です
http://yoooooooops.blog.shinobi.jp/Entry/511/

2012-02-11 01:03:51に「そうなのです。そういうことなのです。」
にコメント頂いた晴子さんへのお返事です
普通のコメント欄に書き込んでくれた南にも返事書いてます。
http://yoooooooops.blog.shinobi.jp/Entry/512/


そして、最近の頭の中を整理。
僕は、「作品」を作りたいのですが、
そもそも「作品」とはなんぞや?
ということ。
この作品はまだ「作品」になりきっていない、
とか言う時の「作品」のことです。

僕の中では、「ずっと見ていられる」というのが割と重要な条件です。
ワクワクする踊りで魅させてくれるのもありだし、
次から次へといろんなことやって飽きさせないのもあり。
ずっと同じことをやってるんだけどなんか見ていられるっていうのもある。

でも、最近友達の口から出た、
「見た後に幸せな気分になるかどうか」
という言葉が引っかかりました。
そう、これはもしかしたら僕が一番大切にしたいことかもしれません。
「作品=幸せ」
ではないですが、
幸せだとまた見たいと思うはず。
また見たいと思わせらたら勝ちだなと。
つまらなくても、次を期待させることもある。
逆にそこそこ面白かったけど次ぎ見たいかというと疑問ってことも。

その違いは、おそらく、
その作品において行われていることが、
作者(及び出演者)に必然であると感じられるか否か。

それにはダンスなら踊り手がその踊りを面白がっているか、
別の人の言葉を借りるとと、その踊りを愛しているか、
みたいなところでしょうか。

でも、また見たいからそれが「作品」かといわれると、
必ずしもイコールではない気がして。

なんやかんや言いましたが、
まだまとまってません。
でも、昨日親父が言ってた、
「作品とはその人の(世の中に対する)ものの見方だ」
という言葉が、すとんときています。

おしまい。

ところで、次の予定更新しました。
お時間ありましたら見に来ていただけると幸いです。
ご連絡、お待ちしております。
odorusakana☆gmail.com
(☆を@に変えてください。)

陽平

拍手[1回]

プロフィール
HN:
はまー
年齢:
37
性別:
男性
誕生日:
1987/05/24
職業:
踊る人
趣味:
走る跳ぶ歌う
自己紹介:
おどるさかな代表
踊る人。大阪生まれ愛媛育ち。ミュージカル俳優を志すも、近藤良平作品「山羊ボー走」出演を機にダンスの道へ。同作品のNY 版にも参加。「元気にふらふら」をモットーに、 踊る場を求めて劇場内外を放浪している。2012.5.30に、初の単独自主ソロ公演「えらびしぶる」をSTスポット横浜にて行う。ここ一年では、近藤良平作品「山羊の一生」、 平原慎太郎作品「街」の他、fundada.、AAPA、Monochrome Circus、Baobab等のカンパニーの作品に出演。(2012.06.23更新)


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